ブログ文化でメディアが解体され、消費者の時代が来る…と本当に思う?

「たとえば商業雑誌のピークはたいていの場合2~3年で、規模に関わらずその時点で獲得できた一定の立ち位置で脈々と続けるとか、低迷の打開策としていきなりの意匠変更をして迷走するとか、いろんなライフサイクルをすでにたくさん目にしてきているわけです。そのカウンターとして扱われることも多いブログのライフサイクルはどれほどかといえば、往々にしてブログ個々のピークは2~3ヶ月だったりするわけですよね」
「すでにたくさんの方々が言及されていますが、お金の動きはともあれ、個人が主体となって運営しているブロガーのモチベーションが『人に見られる』ことにあった場合は、まず間違いなく、ガーッと注目を集めた瞬間から瓦解が始まりかねません。しかもまあ、ネットなコミュニケーションは往々にして、ねたみや嫉みに起因する言い合いに展開しやすいという構造があるだけに、これは必然といえるでしょう。もともと持っているネタがあって、それを表現する場としてのブログであればよいですが、何の気なしにはじめたものの場合、瓦解を止める手段は基本的に存在しません」
「既存の商業メディアとの最大の差異は、どこにあるのでしょうか」
「基本的に、『2~3年なのか2~3ヶ月なのかの違い』、つまりライフサイクルの長さだけだと思っています。企業なり団体なりによって生み出される商業メディアの場合、メンバー個々のピークは2~3ヶ月であっても、何人もメンバーがいればいくつも繰り返しピークを持ってくることができる。つまり、永久にヒット企画を生み出せるような人はまずほとんどいないので、ピークが来たらいずれ枯渇します。ただ、枯渇したときには他のメンバーに任せて、メディアを存続させたまま休息をとることもできるというわけです。一方で個人のメディアは、枯渇した瞬間に、メディアとしての特性、生命を失います。いいですか、メディアというのは……続いていることが本質なのです。優れた公理やテーゼや、美しい詩や色彩や、大爆笑するコメディといったさまざまは、コンテンツであり作品であり成果物であって、メディアではないのです」
「ブログ以前、つまりコメントだトラックバックだといった動きが出てくる前のテキストサイトの頃の方が、面白いコンテンツが多かったと考えますか?」
「どうでしょうねえ……」
(この辺の話がしばらく続く)