「強さを讃える詩」を書くために考えたことのメモ

こうした『がちんこ勝負』に果敢に挑戦する人材は、どの会社にも必ずいるだろう。しかし、そのような人は往々にして上司と衝突しがちで、目覚しい成果を上げても1回の失敗で外されてしまう。一方、うまく立ち回る人は戦いを避けることに長けており、大相撲の星取り表でいえば『1勝14分け』に持ち込む。『1勝14分け』が『14勝1敗』より評価される――。日本の経営者の育成・選別は、大きな構造問題を抱えてしまった。

「14勝1敗」が「1勝14分け」に負ける社会システム
http://markets.nikkei.co.jp/column/rashin/personal.cfm?genre=p9&id=p988j000_19&date=20050819

サッカー的に言うと、この星取りによる勝ち点は「43」と「17」なんですが、企業社会では、後者のほうが「安定」と評価されることが多いという文章です。なるほど。負けた場合は勝ち点剥奪、とかかな。
実際、そんなカスいレギュレーションのリーグなんて見ててもまるで興奮しないし、弱いのにドン引き、という退屈なチームが続出しかねないですね。引き分けを続けてた去年のインテルで「負けてないからなんだってんだよバカ。4引き分けより2勝2敗のほうが俺はうれしいね」といった感じで逆切れしたスタンコビッチの言い回しにシンパシーを感じる私は、引き分けならOKというサッカーを志向するつもりはありません。チェルシーの守備型カウンター主体な戦術は、実際あそこまで強いから許されるものではありますが、それでも賛否両論。あれをウィガンがやるなら賞賛されるでしょうが、チェルシーはすでにチャンピオンチームだしなあ。
組織社会だと、保守本能が台頭しかねない要因はたくさんあります。イノベーションというけれど、その難しさの本質は、「そもそもの前提条件を明確にするのが難しい」ことなのではないかと。たとえば、新幹線に毎週乗っている人と修学旅行以来10年振りという人とでは、乗車前の気持ちの盛り上がり方が全然違うように、メンバーの持つ前提条件や能力がそれぞれに異なるところに、組織の難しさがあるんだろうと思います。でもそうした多様性って、組織の前提であるべきはずなのに、自らの実際を明らかにしたがらない人、わかってないのにわかったようなリアクションしかできない人って多いですよね。知らないことは知らないと言う、ただしその回数を減らすことは努力でできる、というセオリーをセオリーとして教え込まれてきた私は、自分より年上の人に気を使う必要もないですし、「何でわかってないのに聞けないんだろ」としか思いませんが……。失敗ってそんなに怖い?えらく久しぶりに新幹線に乗るよってウキウキしてるほうが、変にスマしてるより微笑ましくない?
わからないままに進んでしまった場合、成果物はおのずとダメになります。かなり必死に取り組まれたものでも、そもそもの理解が浅いところでは大したものにはなりません。「俺的マックスです」という成果物がヘボい場合、そう言われたほうはどうしたらよいでしょう?「必死にやってみろ」「やってみました」「それでこれかよ」「そうです」となったらもう何も生まれませんが、なんかよくある光景のような気もします。そもそもそこまで期待した自分が間抜けだったと思えるかどうか、どこまで期待しているかを事前に明示化できていたか、といったところがマネジメントの真髄といえるでしょうし、期待値、目標値に届かない成果物しか生み出せなかった反省を続けなければ、クリエイティビティの向上は得られません。やる気と技術が合わさったものでなければ、やっぱりよいものにはならないのではないでしょうか。
「鶏口となるも牛後となるなかれ」を箴言として尊ぶ人もいますが、私にはその気持ちが理解できません。「鶏口となったら、牛口となれ」という人のほうが信頼できる。本人の意識や物言いとは別に、勝利を目指さない、負けないことが行動基準になっている人が嫌いなんですね。それは規模の大小によるものではありません。