Live Forever.

気づいたらここで働くことになっていた。
会社ならどこでもよかった。
今反芻している。
(どんどん痛さが増す自分語りの続き)
「雑誌類などで事前の情報を入手していないほうが楽しめる」という形容がなされるのは、何もドラクエあたりだけに限った話ではなくて、音楽でも旅行でも何でも、たいていの場合はそうなのである。事前情報の確認をするより偶然の発見をしたほうが、心に刻まれる印象は深いものになる。これまでまともに聴いたことのなかった Oasis をまとめて借りてきたが、つまり彼らは「Maybe」と「Ever」なのだな、という発見ができて満足なのである。
私が現在の会社で働くことになったのは本当に偶然の連続の帰結で、1年余のボランタリーな日々を経て自らの職務遂行能力について欠損と先取を洗い出し終えた私にとって、現在の会社はそれらを必要十分に満たす場所としての意味合いしかなかった。特に改めてしかるべき人物に頭を下げるほど被雇用者たることを求めていたわけでもなかったが、自らの居場所として自覚をするには、それ以前の場は脆弱過ぎるように思えていた。「ここでやってみるか?」という言葉をかけていただきながらも、あたかもキューブリックの映画の1シーンかのようにディスプレイされた超高級マンションに招待されたとき、「ああ、少なくとも今の私の居場所はここじゃないなあ」と感じたのを覚えている。
とりたてて大きな期待をかけられていたとも思えないままに、新たな環境でしかるべき職務と材料を与えられて業務を開始した私は、「2~3年、少なくとも『人の倍』と自ら認識できる程度に職務に集中する」という目標を自らに課した。それ以前の1年余は、おそらく後々になっても私にとって大きな転換期であったと位置づけられるものではあったにせよ、ある部分は確実に退化していたわけで、それはつまりが「真っ当に働く」という感覚であった。およそあまねくサービス業は「情報の欠落の対価として金を動かしていくゲーム」として換言できるという確信を得ていた私は、そのゲームをプレイする上での基本的なルールの理解と、練習を兼ねた実践の場を欲していたのだ。
以来、私自身が一番驚いているのは、あれだけ物事に対する集中力のなかった私が、あらゆる事柄に対して積極性をもって接することができるようになっていったことである。むろんそれは、あるときは先行者として、あるときは反面教師として、新たな環境で出会った数多くの方々の影響によるものといって差し支えない。元来が一人でいることの多い私ではあっても、その関係性の中に私を見出してくれた数多くの人々に対する感謝の念を忘れることはない。
あれから4年が経過した。自ら課していた2~3年という区切りはとうに経過し、自らの身の程をいやというほど知っている私としては、これ以上ないくらいの成長を遂げることができたと自覚している。そして今私が考えなければならないのは、「これから先」のことだ。何かしらに挑戦し続けるのは人として当然のことだが、今現在の私はそのチャレンジする対象を失いつつある。ある一定の能力を使いまわすことでただゲームをプレイし続けるというのではファンタジーは生まれないし、これまで出会った数多くの人々によって今の私がある以上、人々に対してしかるべき成果を返し続けなければならない。
たとえば、売上があがりました利益が出ましたよくやりましたといって表彰されたところで、その表彰に対して儀式として感謝の意を表明しこそすれ、本質的に私自身になにひとつもたらすものではない。むしろ「やっぱりここでもなかったのかなあ」と思うだけで、また新たな場所を探し始めるだけにしか作用しない。もちろん私自身は十分に楽しんできたし、この4年間についてのすべては一切の韜晦もなく振り返られるというものなのだが、ただ、それだけのことに過ぎない。そんなことをいつまでも続けているわけにはいかないのだ。