知覚のポイントを変える訓練のつもりで

人間、ほっといたら自分にとって心地の良いものしか目に入らない耳に入ってこないようになって、想像力の薄い方向に進んでしまうものです。

いろんな意見がある、いろんな行動がある、いろんな人がいるってことを手っ取り早く知るために、ニュースサイトの記事に読み込まれているFacebookコメント欄から、自分の目から見て異質な意見、一見不快な意見を言っている人のアカウントを見にいくってことをときどきやっています。

せいぜい数十人の友人のフィードに流れるかもしれないだけのコメントであっても、たいていの場合はそれなりにまともな文体で書かれています。何かしらの前提条件がありそうだけど一切触れてないから何を言いたいのかよくわからなかったり、いわゆる言語明瞭意味不明で文章として破綻していたりってことも良くあります。

そういうタイムラインを眺めながら、この人はどういう生活をしている人なんだろう、ああかしらこうかしら、と思考実験をしてみることで、知覚のトレーニングをしているような感覚です。

それがなんの役に立つのかって言われると困りますが、まあ長い人生何があっても臨機応変に対応できるような適応力を養っている、とでも言っておきましょうかね。

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基本的に「優秀なオレ」ポジションのコメントが多いですわな