「雑誌媒体の本質」と私

日米の出版事情に詳しい小林弘人・インフォバーン会長は「書籍と違って、雑誌の本質は紙の束というより、コミュニティーを組成すること」と語る。そこで生き残るには「日々大量に消費されるニュースなどの情報に、どのような定見を示すか」。

【eye】雑誌不況 底なし ネット台頭、紙代も高騰
http://sankei.jp.msn.com/culture/books/080924/bks0809240721002-n1.htm

ひとごとではなく、とうとう定期購読しているのは隔月の AXIS だけになってしまった私(しかも最新号を買い忘れている)。大手版元から順番に、雑誌部門全体でのきなみ 20% 以上減少って、もうそれは。
そのカウンターとしてのこばへんのコメントですが、「コミュニティー組成」ってつまり、昔のアスキー系や本の雑誌や、あるいは文壇バー的な、雑誌を核にした界隈のコミュニティーに自分も参加したい!自分も言いたい!的な欲求を満たす(ような幻想を作る)という感じでしょうか。「定見をしめす」というのは、より多くの習得をしている人が、習得していない人に対してわかる言葉で解説する、という感じですかね。
コミュニティーのほうは、若い世代から順番にインターネットに吸収されてってますよね。いまや、日経ビジネスのコメント欄ですらどんどん盛況になってるようにみえるし、発狂小町(元の名前が出てきません)のあの使いにくいインターフェイスでもあれだけ盛況になるんだから、コミュニティーというのはよくわかります。mixi は知らないけど、まあだいたいスイーツな感じの磁場になっているんでしょうし。
定見のほうは、そうはいっても「きっかけ」レベルに収斂する気がします。編集モンキーだった頃に「どうしたって 1 記事 4 ページ以上は無理(ページ数はうろ覚え)」とこばへんは言っていた気がしますが、定見を示すにその分量ではどうしても足りないでしょう。通巻のテーマが深いところで築かれていればよいですが、それを貫くのがどんだけ大変かは推して知るべし、という。
結局、雑誌媒体のパッケージングにおける「コミュニティー組成」と「定見を示す」の先にあるのは、つまり信仰性を商売にすることじゃないかと思うのですが、それ自体あんまりやりたくない私は、ただしい水商売の感覚で引き続き取り組んでまいりたい所存です。信仰性をうながすために「こうです、えっへん」と 1 のことを 10 に言う中身なくてペラい方向へ進みかねない予感がぬぐえず、そんな安い意識で通るほどヌルいお客様を相手にしているわけでもなく、そもそもいつ結果が出るかわからない商売が許される時代では全然ないわけで、私にできることはなんにもございません。
つまり、”Every man and woman is a star.” であり、”Every star requires something to keep on shining.” であり、”Hi, This might be something you’ve been waiting for?” という図式。決めるのは私じゃなくてお客様であり、さらにいえばなるべく多くの選択肢から選んでいただけるほうがよいだろう、という感じ。そういう方向かなあ、という按配なのであります。
出稿の ROI について話をしていて「雑誌媒体ってどういう状況なの?」といきなり聞かれてスパッと答えられなかったので、とりあえずメモとしてまとめてみました。
んーしかしなあ……。