Personal and Social Experiences.

メモ書き。
インターネットによって個人の意見の総体(のようなもの)にアクセスしやすくなっているというのはよく言われる話で、ネット上ではいろんな事象の評価があっという間に定まってしまいます。ゲド戦記にしても亀田方面にしても、媒体に関わらず。ソーシャルブックマーク系のサービスをザーッと見てれば、その動きがよくわかりますね。既存メディア的タテマエ評価ではこうだが、オレたち的ホンネ評価はこうだぜ的な。
ところで、タテマエ的にもホンネ的にもカスいものであっても、自分の体験や蓄積の反映として「あれは重要なエクスペリエンスだった」ということが、実際にはよくあるわけです。仮に、一時の熱が冷めて冷静になってみたら「何であんなのに入れ込んでたんだろう」となるものであっても。たとえば、自分が気に入っているアルバムがワゴンセールで500円で投げ売られてて、心のうちに北風が吹くなんてことは誰でも経験していることでしょう。家にあるのになんか悔しくて500円出そうかちょっと悩む、っていう。
そういう意見、「とはいってもそんな悪いとも思わない」とか「むしろ俺的に是」とか、そういうトーンの意見もちょっとくらいあってしかるべきと思うのですが、ネット上に表出することはほとんどありません。というか表出しているように私は感じていません。個人志向であるようにみえて、やっぱり全体志向な方向性はあまり変わってないんじゃないか、という気がしてならないのです。
グーグルにしてもソーシャルブックマークにしてもテクノラティあたりにしても、結局「リンクされている」「コメントが集まっている」「トラフィックが集中している」といった数値的要素で序列をつけているのであって、その構造を超えているわけではないですしね。聴く音楽がなくなって煮詰まったときに、自分の嗜好と「ちょっとかぶってる?」くらいのコンピレーションを聴いて、ヒットしそうなものを探すというようなアクションをネット上でもしようと思った場合、現状ではどういう手段があるでしょうか。
無作為にキーワードを抽出して検索してみるとか、クリックしようとしたリンクの隣にジャンプしてみるとか、チャンスオペレーションな面白い方法がないものか試してみています。