Don’t Look Back in Anger.

自らへの戒めのための自分語りエントリーを、あえて痛い表現を選んで書いてみるテスト。
私の20代前半の期間はいろんなことがあった。わけわかんないうちに気づいたら西日本方面をフラフラとしていて、その後の私の考え方、発想や着眼の基準が形成された時期でもある。しかもその大半は、私の意志とは関係なく身についてしまったものといってもいいかもしれない。
前職の会社を辞めるとき、「お前くらいの連中に辞められるのが一番つらいのだ」と私の両親と同世代くらいの上司にいわれたのが印象に残っている。当時の私を客観的に振り返れば、いわゆる「社会」の酸いも甘いも一通り経験した段階ととらえてよいのだろうし、上司にしてみれば、じゃあこの先の生き方働き方をどうしていこうかとようやく考え始める時期じゃないか、それを何で今、という思いがあったのかもしれない。
元来が非常に温かみのある方であったので、そうした言葉はとても沁みるものであったが、私は私自身について良好な自己評価をしていなかった。また、仕事や会社以前のところで、どうにもならないくらいに自分の矮小さを突きつけられてもいた。個人として、あるいは企業の従業員として、自らを照射させ、自らを省みる手段の一切を失ってしまっていた。結果、あらゆる局面をプレッシャーとしかとらえられず、逃げることばかりを考えるようになっていた。そしてあるとき、ただ闇雲に「もう全部終了」とだけ指針を決め、1週間髭もそらないままに撤収作業を続けることになる。
ようやくすべてを終了させた上で乗った新幹線の車中で、私の切符を確かめにやってきた車掌が見せた表情がいまだに忘れられない。当時週4回新幹線に乗る生活をしていた私は、わずかばかりの余裕を求めてグリーン車を好んでいたが、グリーン車のゆったりとしたシートと雰囲気には、いっこうに似つかわしくない風体であったはずだ。それ以前にも以後にも他人からあんな表情をされたことはないから、あの瞬間が、それまでの人生でもっとも負の感情に支配されていた瞬間であったといえるだろう。
それからの私はといえば、自らの負の度合いを回復させる術を欲しつつ、とはいっても具体的に何をすればよいのか皆目見当がつかないという時期を経験することになる。ぽっかりと開いた心の空洞といかに対峙すべきか、あるいは折り合いを付けていくか、という模索をはじめるようになる。今から6年前の話だ。