Archive for the ‘Fragment’ Category

電車男 vs アルミ男

昔々に読んで気に入っていたはずのスレッドがまとめサイトに再掲されているのを偶然発見し、一気に読んでしまった。内容はすっかり忘れてたけど、「アルミ男」というフレーズだけが妙に印象に残っていた。なんにせよ、これは良い。

【アルミ男】今日まで知らなかったんだけど、親父がさぁ・・・
http://umashika-news.jp/archives/51978358.html

【アルミ男】今日まで知らなかったんだけど、親父がさぁ・・・  後編
http://umashika-news.jp/archives/51978373.html

その後日談らしい他スレのログで「◆14mTQWGAMg」の書き込みを拾っていくと、まあよくある釣りだったらしいことが伺えてしまうんだけど、そこはそれ。

アルミ男の労働日記
http://www.9033700kg.com/others/aluminum_diary.html

このブログで2005年当時をたぐったらアルミ男についての言及があったが、「電車男よく知らない」という駄エントリーだった。もっとも2011年の現在も、アルミ男は知っていて電車男はよく知らないままだ。

ひさしぶりに仕事で秋葉原に行って、本当にナゾなスニーカーはいてる人ばかりなんだなあ、と思いつつ自らと対比してみたわけだが、秋葉原といえば私は電車男をいまだに読んだことがなくて、筋を知りません。
まとめサイトで

 >エルメスのカップをもらった

まで読んで飽きた。
VIPにいたアルミ男なら知ってるんだが。。。

そういえばいまさら告白してみるわけだが
http://www.finetime.org/2005/07/23/277.html

『Imagine』は戦争を止めるのか

『明日のコミュニケーション』には、U2ボノの「ジョン・レノン『Imagine』はこうなったらいいなと想像してるだけなので一番嫌い」という意見が引用されている。アクティビストとしてのボノの意見に僕も同意なんだけど、『Imagine』の愛と平和メッセージがどのように世の中に作用したか、少し考えてみる。

Wikipediaの「戦争一覧」ページから、10年刻みで件数を計測(複数年に渡るものは開始年で)。戦争、紛争の分類手法や粒度はWikipedia任せなので、あくまでもザックリ指標。

Wikipedia 戦争一覧
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E4%BA%89%E4%B8%80%E8%A6%A7#1901.E5.B9.B4.EF.BD.9E2000.E5.B9.B4

1900~1910年 1件
1911~1920年 10件
1921~1930年 4件
1931~1940年 8件
1941~1950年 10件
1951~1960年 9件
1961~1970年 20件

1971年『Imagine』発表

1971~1980年 16件
1981~1990年 15件
1991~2000年 18件
2001~2010年 15件

うーん、なるほど。

あれだけ親しまれている『Imagine』だけど、戦争の抑止に影響があるようにはあまり見えない。これが悪趣味な考察なのはわかっているけど、かえって聴き手を思考停止させてしまう効果があるぶん、『Imagine』は罪な曲だと思う。どうであれ、すでに「1%」の側に行ったあとの人たちが作った曲だし。

これが『Power To The People』なら、それを経由したヒッピーカルチャーが今のパソコンやインターネットの発展に大きな寄与をしたよ、とか言えるんだけどな。

好き嫌い

日々の判断や決断を振り返ってみると、第一印象で感じた「好き嫌い」でほぼすべてが決まっていて、あとの理由は全部あと付けだった、ということがよくある。大きなものなら、受験や就職の志望先とか。小さなものなら、衝動買いの数々とか。

最初の直感が「好き」なら、好きになるはずの理由を意識無意識に探し、最初の直感が「嫌い」なら、その逆。そして直感を正しいものにするために、自分の中にいろんなエクスキューズを積み上げていく。「これは雨の日用」、「急な来客用」、「とっさの時に使う用」なんてタグを頭の中でつけて買っちゃったものもたくさんある。

カエサルの言葉なんだそうだけど、まさに「人は見たいものしか見ない」し、見たいものだけ見ている間にはバスケットのパス回数を必死に数える動画の壮大なオチみたいなことも、たぶん日常的に起こっているんだろう。

ひょっとしたら、世の中ってあまり論理的じゃないのかもしれない。

シンプルなメッセージとは

シンプルなメッセージがあったとして、それが深い洞察に基づいた最終的なシンプルさなのか、「ともかくシンプルなことを言う」という方法論に基づいたシンプルさなのかはわかりにくい。パンクやポストパンクのシンプルなメッセージは前者と長いこと思っていたけど、実際はたぶん後者なんだよな。

We are all prostitutes.

脱原発のためのメモ

自分の以前のツイート。

「できれば電気を自由に使いたいが、それ以上に脱原発をリアルに考えていきたい。そのためには何かが変わるんだろうこともなんとなく理解しているし、覚悟もできてきた」という段階の僕からみると、「是々非々」でなく「是非」しかない原発賛否議論の喧嘩腰っぷりはマジ勘弁。

http://twitter.com/finetime/status/52318795699724288

という感情のまま、特段何をするわけでもなく目にしたのが次のインタビュー記事。

今まではこの高円寺の人たちで飲んだり雑談しながら「これ気に入らないな」と思ったらデモをやろうと、割と近いところで準備をして、近い人がくるという感じだったんです。今回も、最初は原発とんでもないからやろうよ、という感じだったんですけれど、いつもは一緒にやっていない人たちがどんどん参加してくるんです。

webDICE – 骰子の眼 – 4/10高円寺原発やめろデモ主催・素人の乱松本哉さん語る「僕は小池さんに入れます」
http://www.webdice.jp/dice/detail/3001/

/(^o^)\ナンテコッタイ

別に彼らがすべての活動の中核にいるというわけではないだろうけど、今の反原発活動が予想以上にアレなのがこのインタビューで伺えてしまった。アレな活動を心の拠りどころにするつもりは全然ないので、自分で考えることにする。

この先脱原発をはかっていくにあたって、おおむね以下のステップは踏まれるべきと思う。

  1. 原発依存からの脱却を国内外に宣言する。スケジュールもたたき台くらいは作る。
  2. 代替発電策を選定するための研究、実証に対する助成、保護を図る。
  3. 代替となる方針を定める。いつまでに何を、という達成目標も明示する。
  4. 決めた以上は、増税してでも新・発電策を育て上げる。将来的に輸出するつもりで。
  5. 原子力産業従事者の生活、雇用を保護しながら、転身をサポートする。

問題は(毎度のことだけど)リードを取れる人材も機関も全然思い当たらないこと。資源エネルギー庁を省に格上げしてガンガンやる、というのもアリだとは思うんだけど、そうなるとまた別の問題も出てきそうで悩ましい。

いろいろ思うところあって

ネット上に名前を出す方向に切り替えてみたいと思います。Keisuke Ishizuka と申します。どうぞよろしくお願いいたします。ただ、漢字の名前は出しません。なぜなら画数が悪いらしいので。
ていうか占いとか易学とかは、目に見えないものを実体化させるという意味で全然あっていいと思うんですが、「おまえは一生ダメ」みたいなことを言うのはやめてもらいたいです。単純に萎える。

クリエイティブの本質はもう長いこと変わっていないんじゃないかという考えのヒント

 人間は「あなたは大切な存在で、生きている価値がある」というメッセージを、つねに探し求めている生き物だと思う。そして、それが足りなくなると、どんどん元気がなくなり、時には精神のバランスを崩してしまう。
 「こんなものでもいい」と思いながらつくられたものは、それを手にする人の存在を否定する。とくに幼児期に、こうした棘に囲まれて育つことは、人の成長にどんなダメージを与えるだろう。
 大人でも同じだ。人々が自分の仕事をとおして、自分たち自身を傷つけ、目に見えないボディブローを効かせ合うような悪循環が、長く重ねられている気がしてならない。

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この本は単行本だったころにも読んでいて、とてもよい本という印象があったので文庫になったのが遅いくらいと思いますが(単行本が売れ続けてたのかな?)、この最初の一文の破壊力ったらないですね。

まとまらないまとめをまとまってまとめておくためのエントリー

  • 先日、ある集まりで。

    「あの人は何でもすっごい早くて、ブログとかも200X年くらいにはスタートして……うんぬん」
    「ネットでいろいろ結び付ける的な……云々」
    「新しいサービスをどうのこうので、D社にも……うんぬん」
    「でもそこで当たるかどうかっていうのは……云々」
    「ぜーんぶ早いんですけど、ぜーんぶ……うんぬん」

    つまり、「あの人」はいろいろ新しくて感性スルドくてステキなんだけどあんまり商売になってないんです残念、という感じのクダけた会話です。ポジショントークともいえるし、そういう方面へ出かけるとよく見かける立ち位置からのコミュニケーションの気もします。「D社」も、普通に電通って固有名詞で言うんじゃなくて、文字通り「D社」って発音する感じ。あるいは、同じような立ち位置の人を呼ぶのに「XX先生」ってつけて言うみたいな、そういう雰囲気。ううむ。

  • もう自明のことではありますけど、ネット上のサービスは圧倒的に実力主義です。人々の知覚がどれだけ集まってどれだけ遷移していくらお金が動いて、という経緯が全部数値化される環境では、何が強くて何が弱いのか、どこに波が来ていてどこは干からびているのか、はっきりとわかるようになってしまっています。で、トランザクションが集まるところ、強いところ、波が来ているところが商売になります。そうでないところは商売になりません。
  • 商売になるところにだけ、ヒトとカネとモノが集まります。これは不思議なもんで、集まるところには全部集まるし、集まらないところには何にも集まりません。なるべく勝ち船に乗りたい、なるべくリスク負いたくないというのがみんなの本音とはいっても、ちょっと露骨すぎねえか、というレベルではっきりしてしまいます。これはもう、インターネット社会の功罪ですね。いままでであれば社会総体の中にたくさんあったはずの、なんとなくの遊び、バッファとして動いていた部分がどんどんそぎ落とされてくる。ある種、「本質原理主義」とでもいうべきような狂信性をもって。このバッファや余裕によっていろんなところでマネタイズのチャンスがあったこれまでの社会に比べて、チャンスは明らかに少ない。
  • マージン x マージン x マージンの2次請け、3次請けなんていらないよ、とフラット化した地形をコスト圧縮な観点で語るのはもちろん理にかなっていることです。しかし社会総体でみた場合、それによって食えていた人たち、つまりカネとモノが動くことによって食えていた人たちは淘汰されてしまいます。
  • でも、たとえばいままで10人でやっていた仕事を1人でこなせるようになったとしても、10人の生産性の合計はどうしても100人分にはならないわけです。これいらない、あれいらないって順番に消していったら、そもそも世の中のお金の流れがほとんどなくなっちゃいました、なんて方向に行く可能性だってじゅうぶんある。なんせほら、ものの本によれば今の情報の量って10年前の400倍くらいあるらしいのに、いまだにまっとうなマネタイズの方法を誰も編み出せてないわけですし(いまんとこのGoogleをのぞく)。
  • そういう時代にあって、「消費の時代は終わった。生産を模索すべき」というのは、ヒトとして個人として、人間として、正しい方向性なんだろうと思うわけですね。